「ひなぎく」はどんな映画?
今回、ご紹介する作品は「ひなぎく」です。
この作品は1966年にチェロスロバキアで製作された作品です。
この作品はカルトなガーリー・ムービーとして知られている作品です。
主人公である2人のマリエの仕草はかわいく、映像も前衛的でおもしろいのでファンが多い作品です。
ただ一方では、ストーリーは難解で、社会批判している内容という側面も持っている作品でもあります。
目次
作品情報
監督 | ヴェラ・ヒティロヴァ |
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製作年 | 1966年 |
製作国 | チェコスロバキア |
キャスト | イヴァナ・カルバノヴァ/イトカ・ツェルホヴァ |
上映時間 | 75分 |
あらすじ
2人のマリエという女の子が自由奔放な毎日を過ごしています。
何人もの「パパ」に食事をたかったり、レストランで騒いだり、毎日楽しく過ごしています。
しかし、段々と自分の存在が薄くなってきていると思い始めます。
そんなある日、党のパーティー会場に忍び込むのですが・・・
社会主義国家・チェコスロバキア
この作品は当時のチェコ国家に対する批判も散らばめられています。
この作品が製作された1966年、チェコスロバキアは社会主義国家でした。
当時の自由のない生活に対する国家への批判を、直接的ではない表現方法で作品内に埋め込んであります。
そんな隠されたメッセージを読み取るのも、この作品の楽しみ方の1つです。
ヴェラ・ヒティロヴァ監督
ヴェラ・ヒティロヴァ監督は、チェコの女性映画監督です。
チェコ映画の開拓者とも呼ばれ、「ひなぎく」はチェコの新しい映画運動である「チェコ・ヌーヴェルヴァーグ」を代表する作品です。
しかし、「ひなぎく」はチェコで上映禁止処分となり、ヴェラ・ヒティロヴァ監督も7年間に渡り活動停止となりました。
活動再開後は何本も作品を発表し、「もっとも偉大なチェコの女性映画作家」と称されています。
しかし、2014年に85歳でお亡くなりになりました。。
キャスト
主演の2人は、元々プロの女優ではありませんでした。
演技の経験のない俳優をキャスティングするのも「チェコ・ヌーヴェルヴァーグ」作品の特徴の1つです。
ウサコックのおいしさ(おもしろさ)指数
4ウサコックです。(最高4ウサコック)
女の子2人がかわいく魅力的で、シュールで、毒っ気があって、そして、実験的で遊び心のある映像の数々。
60年代のファッションや文化が好きな方は間違いなく好きになる作品です。
カプサ君の激辛(マニア度)指数
カプサ君の数が多いほどマニア向けの作品となっております。
3カプサ君です。映画好き向け作品です。(最高4カプサ君)
ストーリーを楽しむというより、アナログでありながら新鮮な映像、そして2人の女の子の自由奔放さとかわいさを楽しむ作品です。
とはいえ、当時のチェコ国家に対する批判が練り込まれているため、ただ「かわいい」だけという作品ではありません。
隠された意味があるため、ストーリーがわかりにくく、作品に入り込むのが難しいという一面もあります。
感想と考察(ネタバレあり)
その①
カラーとモノクロの映像
この作品はカラーで描かれているシーンとモノクロで描かれているシーンとに分かれています。
2人のマリエが部屋で過ごすシーンはカラー映像なのですが、部屋から出ると色のついていない映像が多くを占めます。
当時の社会主義体制で抑圧されたモノクロの世界に、自由の象徴である2人のマリエが現れると、モノクロの世界にカラフルなフィルターがかかり、「街を色づけている」そんな印象を受けます。
しかし、完全なカラー映像にならないところが「抑制された自由」を感じました。
その②
フェミニズム
2人のマリエは、いわゆる「パパ」と呼ばれるおじさん達から食事をおごらせ、帰りはおじさん1人を汽車に乗せて帰らせます。
若い女性が、お金持ちの紳士を手玉に取っているシーンなのですが、現実社会では女性が歯向かうことのできない男性社会の権力者に、映画の中で仕返ししているように見えます。
また、蝶の標本を飾っている男性の部屋で、男性がマリエに別れ話を持ちかけるシーンでは、別れ話をしている男性が、マリエが下着を脱ぎだすと態度が一変して今度は口説きだすというシーンがあります。
女性の裸を前にすると、言っていた事が180度変わる男性の愚かさが描かれています。
また、「蝶」は女性の事を例えており、「蝶」を標本にするという表現は、女性を家に閉じ込めるという男性中心の社会を表しています。
標本のように閉じ込める事のできない自由なマリエに、男性は別れ話をしていたのでしょう。
また、マリエの元に男性からの告白の電話が入るシーンでは、2人はその電話を聞きながら、ベッドの上でいろいろな食べ物をハサミで切って食べています。
ここででてくる食べ物というが、ピクルス、ソーセージ、ゆでたまごに、バナナです。
これらの食べ物で想像できると思いますが、これらは男性のシンボルを表しています。
もし、他の作品でこのような演出を観ると、「実に陳腐で下品な演出だ」と感じると思うのですが、この作品ではそんな嫌悪感は感じず、逆にマリエたちの自由奔放さや、かわいさが際立って見えるので不思議です。
その③
強いメッセージ性
オープニングでは歯車がくるくる回る映像と、戦争での爆撃の映像が交互に映し出されます。
この時点で、かわいいだけのガーリームービーではないとわかります。
そして足を伸ばして座っている2人のマリエのカット。
動くたびにギーときしむような音がします。そして「私は人形」といいます。
抑圧された社会では、「みんな人形みたいだ」と言っているように思えました。
物語が進んでいくと、2人は自分たちのことを誰も気付かないと嘆きます。
いわば2人は自由の象徴として描かれており、社会主義国家であるチェコの人々は、「自由に生きる事」を忘れてしまっているというメッセージに思えます。
「みんな、自由を得るために立ち上がれ」という民主主義化を促しているようにも感じます。
そして、物語の最後では、ハチャメチャだった2人は「いい子」になります。
いい子になった2人は自分たちがむちゃくちゃにしたテーブルを、今までのようなかわいい服ではなく、新聞紙を紐でまいた格好で片付けます。政府の言う通りにすると、貧しい暮らしをしなければならないと言っているようです。
片付け終わると、2人は「私たちは幸せだ」といいます。すると、上からシャンデリアが落ちてきて2人は下敷きになります。
「自由」が国家権力によって押し潰された例えのように感じました。
そして、画面に映し出されるメッセージでこの作品は幕を閉じます。
「踏み潰されたサラダだけを可哀想と思わない人々に捧げる」
最後に
この作品は、伝えたいメッセージを、ポップでかわいい映像というオブラートで包んだ作品だと感じました。
チェコの歴史を調べてこの作品に隠された真意を見つけるのもよし、マリエの衣装や部屋のかわいさ、2人のキュートさを楽しむのもよし、アヴァンギャルドな映像を楽しむのもよしと、いろいろな楽しみ方がある作品です。