「友だちのうちはどこ?」はどんな映画?
今回、ご紹介させていただく作品は「友だちのうちはどこ?」です。
この作品はイランの作品です。イラン映画はあまり馴染みがない方もいらっしゃると思います。
しかし、イラン映画にも良作は多々あります。
「興味はあるけど、何か敷居が高いなあ」という方はこの作品から観てはいかがでしょうか?
比較的見やすい作品となっております。
目次
作品情報
監督 | アッバス・キアロスタミ |
---|---|
製作年 | 1987年 |
製作国 | イラン |
キャスト | ババク・アハマッドプール(アハマッド) |
上映時間 | 85分 |
あらすじ
主人公は小学2年生のアハマッド君。ある日、友だちのモハマッド君が宿題をノートに書いてこずに先生に怒られます。しかも、これが初めての事ではありません。先生は「今度、ノートに宿題を書いてこなければ退学だ」とモハマッド君に最終通告をします。
そしてその日の学校が終わり、アハマッド君は家で宿題をしようとカバンを開けると、今日先生に怒られたモハマッド君のノートを一緒に持って返ってきた事に気づきます。モハマッド君はこのノートに宿題を書いてこなければ退学になってしまいます。
アハマッド君は母親に事情を話しますが取り合ってはくれません。そこで、彼は友だちの家にノートを届ける為、家を飛び出ます。しかし、「友だちの家が隣町にある」という事しかわからないアハマッド君は、聞き込みをしながら友だちの家を探すのですが・・・
アッバス・キアロスタミ監督
代表作
友だちのうちはどこ? | (1987)ジグザグ道三部作(コケールトリロジー) |
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そして人生は続く | (1992)ジグザグ道三部作(コケールトリロジー) |
オリーブの林をぬけて | (1994)ジグザグ道三部作(コケールトリロジー) |
桜桃の味 | (1997)カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞 |
風の吹くまま | (1999)ヴェネツィア国際映画祭審査員賞特別大賞受賞 |
アッバス・キアロスタミ監督は国際映画祭の常連監督でイランを代表する監督です。日本の映画監督、小津安二郎のファンを公言しており、彼の作品には小津監督の影響が随所で見られます。
2012年公開の日本・フランス共同製作作品「ライク・サムワン・イン・ラブ」は、日本が舞台となっており、全編日本語の作品です。また、2013年には旭日小綬賞を受賞しており、日本と縁の深い監督です。
2016年、76歳で生涯を閉じておられます。
出演者
この作品の出演者は、プロの役者さんではありません。演技未経験の、言わば「素人」の方ばかりです。その為、ドキュメンタリー映画のような雰囲気の作品になっています。
この作品の主人公であるアハマッド君と、友だちのモハマッド君を演じた2人は実の兄弟だそうです。
アハマッド君を演じたのが、ババク・アハマッドプール君で、友だちのモハマッド君を演じたのが、アハマッド・アハマッドプール君です。
ウサコックのおいしさ(おもしろさ)指数
3ウサコックです。(満点4ウサコック)
小学2年生が一人で友だちのうちを探すという、初めてのお使い的な作品で、主人公の少年の健気さが魅力です。題材が題材だけに85分という時間は絶妙な上映時間だと思います。
カプサ君の激辛(マニア度)指数
カプサ君の数が多いほどマニア向けの作品になります。
3カプサ君、辛口です。映画通向けの作品です。(最高4カプサ君)
淡々とお話は進んでいきます。ドラマティックな盛り上がりなどは特にありません。ドキュメンタリー風な構成になっているので、こういった作品をあまり見ない方は退屈と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
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感想と考察(ネタバレあり)
その①
話を聞かない大人たち
この作品で特徴的な事は、大人が子供の話に耳を貸さないという事です。
アハマッド君は作中、いろいろな大人に友だちのノートを返さなければいけないと訴えます。しかし、ほとんどの大人は聞く耳を持ちませんでした。
子供目線で作品を観ると、話も聞かず頭ごなしに叱ってくる母親や、タバコを持っているくせに、しつけと称してタバコを家にとりに行かせる祖父など、観ていてイライラしてきます。
しかし、大人の目線で作品を観ると、貧しく日々の生活で一杯一杯で、子供の話など聞いている余裕のない社会が見えてきます。
道案内してくれたおじいさんも、アハマッド君にも靴下に大きな穴が開いていた事から、経済的に苦しい事がわかります。どちらの目線でこの作品を観るかによって、作品の印象が変わると思います。
また、この大人と子供の構図は、イラン政府とキアロスタミ監督をはじめとしたイランの映画監督との関係を描いているようにも感じます。
イラン映画は政府の検閲があるそうです。その為自由に映画を撮る事ができません。
イランの映画監督も政府に有無を言わさず上映禁止にされたりする事があったと想像されます。
そのことを直接的に抗議する事が出来ないので、子供と大人という形に変えて作品の中で社会批判したのではないでしょうか?
その②
強い信念、純粋な心
この作品の魅力は、やはりアハマッド君の純粋な心にあるでしょう。友だちを助けたいという思いは、「走れメロス」を彷彿させます。
「大人の言う事は絶対」という社会の中、母親のお手伝いを拒否して、友だちのうちを探しにいく行動力は素晴らしいものです。
「頭で考える前に行動する」ことは、年齢を重ねていくと共に難しくなっていきます。
私は「自分には無理だ」とあきらめてしまっていることが多いので、アハマッド君から見習わなければいけないと感じました。
その③
強風でドアが開くシーンについて
気になる演出がありました。それは友だちにノートを渡せず、落ち込みながら宿題をするアハマッド君のシーンです。
落ち込みながら宿題をするアハマッド君。その時強風が吹きドアが開きます。
洗濯物が飛ばされ、それを拾う母親。その様子を眺めるアハマッド君。
このシーンにはどんな意味があるのでしょうか?
ここでシーンが変わり、翌日の学校の教室のシーンになりますので、この洗濯物を取り込む母親を見てアハマッド君は友だちの宿題も一緒にすればいいんだと気づいたというのを表してるはずです。
そこで私は2つの仮説を立てました。
1つ目の仮説
これまで友だちにノートを返すという考えに囚われていたアハマッド君。
そんな時、友だちの宿題をやってあげるという考えが浮かびます。
それを、ドアが開いて強風(新しいアイディア)が部屋(アハマッド君の頭)に入ってくるという比喩としてあらわしている
2つ目の仮説
物語の中盤で、アハマッド君が、2階から落ちてきた洗濯物を持ち主に投げ返そうとするシーンがありました。
投げても投げても2階には届かないので、隣の家の人がアハマッド君から洗濯物を代わりに受け取って持ち主に返します。
母親が落ちた洗濯物を拾うところを見て、その時のエピソードを思い出し、代わりに宿題をする事を思いついた。
その④
ノートにはさんだ花について
物語の最後、先生にチェックしてもらった宿題のノートにはさんである花が映ります。この花にはどういう意味があるのでしょうか?こちらも仮説を立ててみましょう。
1つ目の仮説 アハマッド君の友だちを想う美しい心をきれいな「花」であらわした。
2つ目の仮説 友だちの家は結局見つからず、友だちにノートを渡すという目的は未達成に終わったのですが、このアハマッド君のとった行動は決して無駄なことではなかった、という証を「花」という形であらわした。
最後に
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