「ミツバチのささやき」はどんな映画?
今回、ご紹介するのは「ミツバチのささやき」です。
この作品は1973年スペイン製作の作品で、スペインを代表する監督であるビクトル・エリセ監督の長編デビュー作となります。
ビクトル・エリセ監督は1963年に監督デビューして以来、現在(2021年現在)までに長編映画は3本しか撮っていません。
その3本のうちの1本であるこの作品は、映画ファンからの評価が高く「名作」と呼ばれている作品です。
目次
作品情報
監督 | ビクトル・エリセ |
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公開年 | 1973年 |
製作国 | スペイン |
上映時間 | 99分 |
キャスト | フェルナンド・フェルナン・ゴメス(父フェルナンド) |
キャスト | アナ・トレント(アナ) |
あらすじ
スペインの内戦が終結した1940年のスペインの小さな村に、移動映画がやってきます。
その映画は「フランケンシュタイン」で、6歳のアナはその内容が理解できません。
姉のイザベルに質問すると、フランケンシュタインは「精霊」だと説明を受けます。
「精霊」の存在を信じたアナは、「精霊は廃墟である家畜小屋に住んでいる」とイザベルに教えられ、学校の帰りに廃墟に通う毎日を過ごしていました。
「精霊」の話はイザベルの作り話でしたが、アナはその存在を信じていました。
そんなある日、アナはいつものように廃墟に行くと、そこに傷ついた兵士がいます。
そして、兵士と出会ったアナは・・・
ビクトル・エリセ監督
ミツバチのささやき | 1973年 |
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エル・スール | 1982年 |
マルメロの陽光 | 1992年 カンヌ映画祭審査員賞受賞 |
ビクトル・エリセ監督はスペインの監督です。
長編映画は3本しか撮っていない(2021年現在)にもかかわらず、「監督ビクトル・エリセ」の名前は世界中の映画ファンに知れわたっています。
それは、いかに素晴らしい作品を撮っている監督かという事の証明になるでしょう。
モーリス・メーテルリンク
この作品の原題は「EL ESPIRITU DE LA COLMENA」(直訳すると「蜂の巣の精霊」)です。
この題名は、ベルギーの詩人であり、劇作家でもある、モーリス・メーテルリンクの「蜜蜂の生活」から引用しており、「蜂の生活について書かれた最も美しい本」とビクトル・エリセ監督は語っています。
ウサコックのおいしさ(おもしろさ)指数
3ウサコックです。(最高4ウサコック)
この作品は、スペイン内戦直後の1940年代が舞台になっており、主人公であるアナが「幼女」から「少女」に成長するストーリーです。
スペインの田舎の風景や、主人公たちが住む家での美しいショット、素晴らしい構図のショットが多々あり、観ていて目を奪われます。
ただ、エンターテインメント性が少なかったので評価を下げました。
またこの作品は、当時のスペイン国家に対する批判が散りばめられている作品でもあります。
スペインの歴史的背景を知れば、この作品の違った一面を見る事ができると思います。
後ほど、簡単に歴史的背景を説明させていただきます。
カプサ君の激辛(マニア度)指数
カプサ君の数が多いほど、マニア向けの作品となっております。
4カプサ君です。映画マニア向けの作品です。(最高4カプサ君)
この作品は、セリフの量は少なく、説明もあまりありません。
物語は淡々と進んでいきますし、手に汗握るような展開もありません。
とても詩的な作品なので、ストーリーを楽しむというより、絵画や写真を鑑賞するような感覚で観る方がいいのかもしれません。
この作品は「となりのトトロ」など様々な作品の元ネタになっている作品です。
だからといって、エンターテインメント作品を想像して鑑賞すると、そのギャップに驚く事になります。
歴史的背景
1931年の世界恐慌をきっかけに、これまで王政だったスペインは、労働者による運動の後押しもあり、選挙によって共和制(君主制ではない政治体制)に変わります。
しかし、これまで王政だった国が急に共和制に変わってもうまくいくわけもなく、国内は混乱を極めます。
スペイン国内は、王制を廃止した共産主義(資本や財産をみんなで共有して、貧富の差をなくそうという思想)を支持する派と、それを嫌うファシスト主義(独裁主義)を支持する派に分かれます。
そして1936年、軍部の右派(ファシスト支持派)がクーデターを起こし、スペイン国内で内戦が始まります。これがスペイン内戦です。
スペイン内戦は周りの国々をも巻き込み、第二次世界大戦のきっかけになったとも言われています。
この内戦は1939年まで続き、反乱軍(ファシスト支持派)の勝利という形で幕を閉じました。
その後、反乱軍を率いていたフランコ将軍が政権を握り、フランコ独裁政治が始まります。
フランコによる独裁政治は、彼が亡くなる1975年まで続きました。
フランコの死後、後継として指名されたファン・カルロス1世(スペイン国王)は、独裁政治にピリオドをうち、国を民主化の方向に導きます。
この作品の舞台は、スペイン内戦後の1940年、国民が疲弊した時代になります。
そしてこの作品が作られたのが1973年で、フランコ政権の真っただ中でした。
この頃は表現の自由も制限されていたため、表立って政権への批判をする事はできませんでした。
その為、直接的な表現をせず、作品内に暗喩するという形で政府の批判をしています。
感想と考察(ネタバレあり)
その①
ミツバチと国民
父フェルナンドが、蜂の生態を説明しているシーンがありますが、ここでの蜂の生態の説明は、メーテルリンクの本から引用されています。
この蜂の生態の説明は、当時のスペインの様子を表わしていると受け取りました。
ミツバチは、1匹の女王バチと、約1割の雄バチ、それ以外の働きバチにわけられます。
当時の独裁者フランコが女王蜂で、その取り巻きが雄蜂、そして国民達が働きバチに例えているように考えられます。
また、フェルナンドが蜂の生態のレポートを書いている際、「悲しみと恐怖があった」と書いた部分に線を引いて消すシーンがありました。
このシーンを見ると、当時の政権が表現物を検閲し、「政府を批判する内容に関しては発表できない」といったことが行われていたと想像がつきます。
アナたち家族の住む家の窓は、正六角形を並べたハチの巣のような模様(ハニカム構造)の枠がはめ込まれており、はちみつのような色合いの陽光が差し込んできます。そのため、家の中のシーンでは黄色味がかった映像が多く、まるでハチの巣の中にいるようです。
そんなハチの巣のような家に住む、この家族は決して仲のいい家族という感じでは描かれていません。
父と母は2人の子供とは言葉を交わしますが、夫婦間で会話をするシーンは、ほとんどなく、自分の書いた文章を、心の声が読み上げている、そんなシーンが目立ちます。
父フェルナンドと、共和党支持者である、実在の哲学者ウナムーノとの2ショット写真が登場することから、フェルナンドは内戦で敗北した共和党支持者だと推測されます。
母テレサも、フランスに送った手紙の内容から、同じく共和党支持者だと思われます。
内戦で支持していた党が敗北したこともあり、この一家の雰囲気はとても重く暗いです。
これは、当時の内戦によって、スペイン(家)で生活する国民(家族)が疲弊しているという状況をも表わしています。
作中、言葉を交わすシーンがほとんどなかった父フェルナンドと母テレサですが、物語の最後で、テレサは、書斎で寝てしまっているフェルナンドに優しく上着を掛けてあげます。
これは、これまで精神的に疲弊していた2人が、「つらい事があっても、お互い支えあって生きていこう」という希望を表すシーンであり、同時に、内戦後のスペイン国民の気持ちを描いていると感じました。
そして、この作品が公開されて2年後、フランコ将軍が死去し、スペインは民主化へと進んでいくことになります。
その②
クリエイターに与えた影響
この「ミツバチのささやき」は、宮崎駿監督作品である「となりのトトロ」の元ネタだと言われています。
両作品に共通している点は、2人の姉妹が登場しており、「精霊」にまつわるお話だという点です。
また、物語の後半に、妹が失踪し、「精霊」と出会うといった展開も似ています。
しかし、両作品の作風は全く違います。
老若男女問わず楽しめる、エンターテインメント作品である「となりのトトロ」に対し、「ミツバチのささやき」は難解でわかりにくい作品です。
他では、「サマーウォーズ」「バケモノの子」など、多くのアニメ作品を監督している細田守氏は、好きな作品の1つとして、この「ミツバチのささやき」を挙げられています。
1999年公開の「劇場版デジモンアドベンチャー」では、主人公兄弟の関係は「ミツバチのささやき」の影響を受けたとおっしゃっていますし、2012年公開作品「おおかみこどもの雨と雪」では「姉妹それぞれの成長の対比というテーマ」は「ミツバチのささやき」に通ずる部分であると語っています。
2017年「シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー監督賞を受賞した、ギレルモ・デル・トロ監督も「ミツバチのささやき」に魅せられた一人です。
2001年「デビルズ・バックボーン」、2006年「パンズ・ラビリンス」は、「ミツバチのささやき」と同じ、スペイン内戦下を舞台背景とした子供のお話になります。
その③
フランケンシュタイン
この作品において、フランケンシュタインは重要な意味を持つキャラクターです。
アナはフランケンシュタインを「精霊」だと思い込み、最終的には、アナの目の前に「虚像」であるはずのフランケンシュタインが姿を現します。
どうしてビクトル・エリセ監督は「フランケンシュタイン」を題材として選んだのでしょうか?
それは、まず「映画の企画が通りやすかったから」と監督は答えています。
実際、この企画はすぐにOKされました。
また、当時、スペインのテレビでは「フランケンシュタイン」ものが多く放映されており、監督はそれを見ていたそうです。ちょうどその時、「フランケンシュタイン」の原作本を読み直していたことも、理由の一つに挙げています。
そういう理由で「フランケンシュタイン」を題材とした作品を撮ることになりました。
しかし、最初に考えていたお話は、この「ミツバチのささやき」とはまったく違うものだったそうです。
最初の案は、「予算がオーバーしてしまうということ」と、当時、ビクトル・エリセ監督が「この案では、不可欠だと感じていた何かが落ちてしまうと気付いた」という理由でボツになり、このお話になりました。難しい表現で答えてますが、ざっくり言うと「本当に描きたかった作品には仕上がらなかった」ということですね。
その④
「幼女」から「少女」へ
幼いアナは、いつも姉の後ろをついて回り、わからないことはいつも姉のイサベルに質問していました。
そんなアナはイザベルの言葉を信じていました。
しかし、精霊の存在を信じるようになってからは、少しずつ自分で判断し、行動するようになっていきます。
姉のイザベルは、黒猫の首をしめたり、黒猫に引っかかれて、出血した自分の指の血を唇に塗ったり、焚火を飛び越えて遊んだり、死んだふりをしてアナを困らせたりと、どこか「死」や「黒魔術」的なものをイメージさせるような行動をとります。
そんなイザベルは、見た目は少女でありながら、時々見せる大人びた雰囲気に「魔女」のような印象を受けました。
そして、アナは「魔女」に惑わされる女の子のようです。
しかし、アナは「精霊」という「神」に近い存在を信じることで、姉イサベル(魔女)と距離を撮るようになります。
最終的には、アナの心の中に「精霊」を作り出し、その心の中の「精霊」(良心)に話しかける(自己問答する)ことによって、自分の考えを導き出し、姉から物事を教えてもらうことしかできなかった「幼女」から、自分の頭で考え、答えを出すことができる「少女」へと成長した、そのように解釈しました。
最後に
この作品は、少女の成長の物語であると共に、当時のスペインに対するビクトル・エリセ監督の想いが隠された作品です。
そのため、非常に難解な印象を受ける作品でした。
私は当時のスペインの情勢をリアルタイムでは知りません。
そのため、ビクトル・エリセ監督のスペインに対する想いや、隠された意図を、すべて理解することはできませんでした。
もし、この作品を、当時の社会情勢を知るリアルタイムで観たとしたら、また違った印象を受けたのかもしれません。
かといって、この作品が年月が経てば、色あせてしまうかと言えば、そうではありません。
説明が少なく難解な物語は、観ている者の想像を膨らまし、観る人の数だけこの作品の受け取り方があると思います。
また、この作品の大きな魅力は、素晴らしいシーンや、美しいショットがたくさんあるところです。
個人的に好きなところは、アナとイザベルが線路に耳をあてて、やってくる汽車の音を聞くシーンです。
大きな力強い汽車が、小さな2人の子供の横を走り抜けるシーンは、何らかの意味を感じざるを得ません。
こちらにやってくる汽車(この後に訪れる「第二次世界大戦」)の音を聞く子供たち(国民)。そして、汽車(第二次世界大戦)の前では、子供たち(国民)はあまりにも無力で、そして汽車が通り過ぎるのをただ待つことしかできない。
そんな、数年後に訪れる戦争を、示唆していると受け取ることもできる名シーンです。
このように、そのシーンが何を意味しているのかを考えながら観るのも、この作品の楽しみ方の1つだと思います。