「そして人生はつづく」はどんな映画?
今回、ご紹介するのは「そして人生はつづく」です。
この作品は1991年製作のイラン映画で、監督はアッバス・キアロスタミです。
この作品は、アッバス・キアロスタミ監督ジグザグ道三部作の2作目となります。
3作品とも、イラン北部のコケール村を舞台にしていることから、「コケール・トリロジー」とも言われています。
目次
作品情報
監督 | アッバス・キアロスタミ監督 |
---|---|
製作年 | 1991年 |
製作国 | イラン |
上映時間 | 91分 |
キャスト | ファルハッド・ケラドマン |
あらすじ
1990年、イランの大地震で被害を受けたコケール村。
コケール村は、1987年製作の映画「友だちのうちはどこ?」のロケ地でした。
「友だちのうちはどこ?」の監督をしていたキアロスタミ監督は、映画に主演していた少年の安否を確認するため、息子と共にコケール村に向かいます。
そして、訪れる先で様々な人と交流しながら、コケール村を目指すのですが・・・
アッバス・キアロスタミ監督
代表作
友だちのうちはどこ? | (1987)ジグザグ道三部作(コケールトリロジー) |
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そして人生は続く | (1992)ジグザグ道三部作(コケールトリロジー) |
オリーブの林をぬけて | (1994)ジグザグ道三部作(コケールトリロジー) |
桜桃の味 | (1997)カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞 |
風の吹くまま | (1999)ヴェネツィア国際映画祭審査員賞特別大賞受賞 |
アッバス・キアロスタミ監督は国際映画祭の常連監督でイランを代表する監督です。日本の映画監督、小津安二郎のファンを公言しており、彼の作品には小津監督の影響が随所で見られます。
2012年公開の日本・フランス共同製作作品「ライク・サムワン・イン・ラブ」は、日本が舞台となっており、全編日本語の作品です。また、2013年には旭日小綬賞を受賞しており、日本と縁の深い監督です。
2016年、76歳で生涯を閉じておられます。
ジグザグ三部作/コケールトリロジー
三部作の第1作目である「友だちのうちはどこ?」は、この作品とつながりがあります。前作をご覧になってからこの作品を鑑賞することをおすすめします。
「そして人生はつづく」を観終わった方は、「オリーブの林をぬけて」をぜひご覧ください。
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ウサコックのおいしさ(おもしろさ)指数
1ウサコックです。(最高4ウサコック)
地震から半年後に実際の被災地で撮影されており、ドキュメンタリータッチで描かれているフィクションの作品です。
出演者は、プロの俳優さんではないので、よりリアリティーが感じられます。
ただ、ドキュメンタリー作品ではなく、ドキュメンタリー風フィクション作品なのが、どこか中途半端な印象を受けました。
カプサ君の激辛(マニア度)指数
カプサ君の数が多いほど、マニア向けの作品となっております。
4カプサ君(最高4カプサ君)、映画マニア向け作品です。
フィクション作品なので、ドキュメンタリー作品好きの方には刺さりにくいし、フィクション作品の好きな方には、ドキュメンタリー風なため、盛り上がりが少なく、観ていて退屈に感じるかもしれません。
感想と考察(ネタバレあり)
その①
ドキュメンタリー風作品
この作品はフィクションです。
しかし、登場する人々は職業俳優ではない人たちなので、ドキュメンタリー作品のような印象を受けます。
ちなみに、映画監督役のファルハッド・ケラドマンドさんは、イラン経済企画庁の役人です。ちょっと堅物な印象を受けるのも、役人という職業柄なのかもしれません。
しかし、私はこの作品を、ドキュメンタリーではない、「ドキュメンタリー風」な作品にしたことにあまり好感を持てません。
もし、フィクションにするのであれば、もう少しドラマティックに描いて欲しかったですし、被災地の様子や被災者のことを撮るのであれば、ドキュメンタリー作品として現地のリアルな様子を見たかったというのが、率直な感想です。
なぜ、ドキュメンタリー作品にしなかったのかを考えると、撮影期間や予算の問題ではないかと思います。
限られた予算、限られた期間の中で作品を撮るとなると、この「ドキュメンタリー風」のスタイルしか方法がなかったのかもしれません。
その②
映画監督親子
映画監督が息子と一緒に、大地震に見舞われた「友だちのうちはどこ?」の撮影現場であるコケールを訪れる話なのですが、この映画監督と被災地との温度差が気になりました。
まず、被災地に向かうにあたって、生活用品や食料品などの救援物資を何も持たず、現地に訪れるところに疑問を持ちました。
コケール村の様子が心配で様子を見に行くのであれば、何か役立つ物を持って行ってあげる気持ちがあってもいいのではないでしょうか。
この映画監督は、行く先々でも、特にお手伝いをしてあげるでもなく、ただ座って被災者と話をするだけです。コケールが心配なのではなく、ただの野次馬のように感じます。
印象的だったのは、地震によって兄弟を亡くした少女に対し、地震の時の話を聞くシーンです。
「弟と妹が死んだ」と話す少女に「地震の話をして」と監督は言います。言葉が詰まる少女に対し「忘れたの?」と監督は言います。
あまりにも少女の気持ちを考えないデリカシーのない言動だと思います。
また彼の息子も、悪気はないのですが残酷な発言をします。
監督の息子が、旅の途中で出会った被災地の少年に、サッカーワールドカップの優勝チームを当てる賭けをしようと言います。
で「何を賭ける?」という話になり、監督の息子はサッカーボールや自転車を賭けようといいます。しかし、家を失った少年は、ピンポン玉や、靴下やノートを提案します。この少年の手元にはこれくらいの物しか残ってないのです。しかし、監督の息子は「そんな物を賭けてもつまらない」と言い放ちます。
被災地では、家は倒壊し人々はテントで暮らしています。それに比べ、帰る家もあり、旅行気分で被災地にやってきた映画監督親子に少し嫌悪感を抱きました。
この演出は、もしかすると、当時のイランの都市部に住む人々と、被災地の様子に温度差があるという皮肉なのかもしれません。
しかし、被災地を描く作品が持つ「使命」は、イラン国民の無関心の問題とかではなく、いかに被災地に目を向けてもらい、支援を呼びかけるかということだと私は思います。
世界的に名の知れているアッバス・キアロスタミ監督ですし、被災地の様子に密着したドキュメンタリー作品か、作風は変われど、観ている人々が感情移入できるようなドラマ作品を撮ることで、世界中の人々に寄付や支援を呼びかけることはできると思います。
被災地を支援するために作品を撮ることが、アッバス・キアロスタミ監督の名前を世界に知らしめた作品「友だちのうちはどこ?」に対する恩返しだと、私は思います。
しかし、この作品を観ても、イランの被災地のために何か支援したいという気持ちが伝わってこなかったのが、残念でした。
最後に
私たちの住む日本では、大きな地震に見舞われることが少なくありません。
その都度、被災地の様子をニュースなどで目にすると、我々は「被災地のために何ができるか?」を考えると思います。
そういった「想い」がこの作品からは感じることはできませんでした。
「そして人生はつづく」と簡単に言いますが、そのためにはお金は必要です。
実際に被災地に行って作品を撮るなら、被災地のために貢献しないといけないと私は考えます。
旅をしながら、いろいろな人に出会い、そこでエピソードが生まれる「ロードムービー」というジャンルとしてこの作品を観たとしても、各エピソードが弱いというか、魅力的なエピソードはありませんでした。
個人的に、好みのタイプの作品ではなかったです。
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